2003-06-02 第156回国会 参議院 法務委員会、厚生労働委員会連合審査会 第2号
現在、退院をされましても一人ぼっちで生活をしておみえになる、それがだれもそこに訪れもしないというような状況が続いておりますと、またこの方も病気を再発するというようなことになりかねない。
現在、退院をされましても一人ぼっちで生活をしておみえになる、それがだれもそこに訪れもしないというような状況が続いておりますと、またこの方も病気を再発するというようなことになりかねない。
裁判のときに検事さんから、同じことを繰り返すから二年間の求刑をするというふうなことを言われたときに、本人は、自分が一人ぼっちでないことがわかった、どんなことがあっても必ず支えてくれる人のいることがわかったからもう大丈夫だと答え、私は衝撃を受けました。人が信じる心を取り戻すのにこんなにも代償の必要なことを思い知らされたわけです。
あるいはまた、専業の主婦の方でも、一人ぼっちという中で育児ノイローゼなんかがあるというふうにも聞いておりますけれども、こういった家族とか児童を取り巻く環境の変化というものが非常にあるのですね。
この民営借家に入っていらっしゃる一人ぼっちのお年寄りの居住環境はどうかというと、やはり住宅統計調査では、この中の七四・六%が非常に狭い、いわゆる居住水準以下のところ。しかも、おふる場とかトイレとか共同利用なんですね。そういうところにお年寄りが入っていますよ。
外国で本当に一人ぼっちで投げ出されたときはどんなに心細くなるものか、あるいは本当に途方に暮れてしまうということがあります。
何かこうやってどこかへ行こうとかなんとか言うと、ああいうやぼな人に対してもちろん行かないと言うと、なるほど彼女はわかってくれないというようなことで、一人ぼっちでぼうっと閉じこもってしまう。 そういうようなことが時々日本ではないかというような気がするんですよ、海外に対して。最初からまともに話してくれれば何とか話になったかもしれぬ。
それが八十五歳、九十歳になって一人ぼっちになって、そうしたらこれはどうなるだろうという不安が非常にあるわけなんですね。そこで、このトンチン年金を考えますときに、我々の年代で仮に百万円、それを一万人の人が出しますと百億円ある。年間、仮に、簡単に一割の配当とすると十億円ですね。これが、初め一万人で分ければ年間十万円しか返ってこないんですけれども、これが千人になると百万円返ってくる。
おい、空気を吸ってだれか一体金をよこせなんて言う者がいるか、空気はいつも無料で吸っているんだ、同じように、こんな著作品や音楽や映画なんというものは、個人の家庭や一人ぼっちでぼつぼつ利用するにおいては、空気を吸うのと同じで金なんか払うばかなことをやる性質のものじゃないという、こういうずうずうしい思い上がった考えがいわゆるメーカーを中心とした企業家の中に流れているんだ。
それは、中国の養父母の人が、残留孤児がこちら日本に来て養父母を置いたきり出てきてしまって、向こうで生活上も支えになっておったのに、しかも自分はもう年寄りであるにもかかわらず一人ぼっちにされてしまったということで非常に悲嘆に暮れておるところが放映されたのですね。
それから、あと一つ御検討願いたい点として、原爆小頭症ですね、これは非常にまれな方しかおりませんけれども、この方たちのこれからの終身補償、補償という言葉は悪いですが、これからいろいろその面倒を見てくださっている家族の方がだんだんおらなくなってしまえば、一人ぼっちになった場合にどうするか、この問題が実はもう目の前の問題として出てきておるようでありますが、こういう小頭症患者の終身補償といいますか、どうしたら
それから二十一ページですが、「孤独感」というのがありまして、「一人ぼっちと思うこと」があるかどうか。それはないという人と、それからいつも寂しいという、どちらかということなんですが、どちらかといえば孤独感はないという人が八割近くになっております。
子供を一人しか産まなかったら、子供は一人ぼっちになりまして、孤立感があって、排他的になって、そういうのが学校に行ったら暴力学生になる。暴力問題を起こすんです。子供がたくさん、五人も七人もおったらある程度白制心、社会性ができてくる、家庭生活の中で。ほっておくという面もあるけれども、それぞれ長所を伸ばすという点もある。だれもかれも大学に入れるということを考えないわけです。
みんな一人、家へ帰っても学校へ行っても一人ぼっちですから、これじゃやっぱりさみしくなるわけですから、これがよくない。 それからいま一つは家庭ですね。もうおっしゃるように、核家族になって非常にさみしいですよ、子供は。親は働きに行っちゃっているから、家へ帰っても一人でしょう。ですから、やっぱりこれは私は家庭教育にも原因があると思うのです。
十七歳でたった一人ぼっちで中国で、このときは吉林にいたわけですが、置いてきぼりになったものですから、中国人と結婚してずっとそれ以来今日まできているというのが、ちょっと長くなりましたが、この人の略歴なんですね。
家庭が不和であってはいかぬし、このごろはどうも夫婦共かせぎですから、子供は一人ぼっちなんです。そういう意味で私は子供がかわいそうだと思うのですが、やはり家庭で子供を大事に育ててほしいと思う。
今は一人ぼっちであるけれど、少なくとも あのひと時は一人ぼっちなんかじゃなかった。 すばらしい仲間たちがたくさんいた。だから苦 しい事でもいやな事でも、楽しくやることがで きたのだ。 あのキャンプに参加していなかったなら、今 の僕の生活はこんなには輝いたものにはなって いなかっただろう。
君、一人ぼっちの山中と出ておるけれども、一人ぼっちじゃないよ、事独禁法に関しては協力者がたくさんあるんだぞと言って、いまさっき来る前に話し合ってきたばかりなんです。自民党の中といえども、名前を挙げましょう、そこの田中君なんかはやる気十分なんです。あなたのいまの説明で、時間が短いの臨時国会だのと言ったら、それなら値上げ法案はどうなるんですか、こういうことになる。
そのときに日本は一人ぼっちになるんですよ。義務があるとおっしゃっても、その義務というものについては、これは明白に、つまり行動することであって、撤退する規定が書いてないのです。撤退に当たっては双方が協議しなければならぬということがないんですよ。 私は、三十五年の日米安保条約論争をやるときに、当時、洋さんや藤山さんにもちょっとこの点をお尋ねしたのです。
広島市丹那では最高年齢者だそうですけれども、かつては七人の子供さんがいたのだそうですけれども、五人は原爆や病気で死亡させて、昭和二十七年には御主人にも先立たれて、いまでは残り二人の子供さんにも頼れず、文字どおり一人ぼっちだそうです。たまには休みたいと思っても休めば生活ができないということで、暑い日も寒い日も雨の日もとにかく働かざるを得ない。
その内容は、寡婦の、一人ぼっちになったお母さんの雇用促進法、このお母さん方は、必ずしも援助をもらうことを求めるよりも、自分たちが何とかして町役場に勤めさしてほしいとか、学校給食の調理婦にさしてもらいたいとか、そういうけなげな願いを持っているわけであります。恵みよりも仕事場をという、こうした願いというものが、寡婦雇用促進法の法制化に結びついておる。